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I'm still looking for.

「考えたこと」を文字にしようとこころみるブログです/宝塚の話が多めです/でも興味はひろく/観た映画の話もしたいです/パンドラの箱はもうあけてあった

<内心>ろくでなし子氏再逮捕に寄せて雑感

ろくでなし子氏がまた逮捕されたのだった
日本の司法制度で裁かれる限り、その司法制度がいうわいせつ性の有無を彼女自身が判断することはできないけど(わたしのからだはわいせつじゃない、という彼女の主張はここでふさがれてしまう)このわいせつ性はわいせつ、という言葉そのものからその基準がわかるわけじゃないし、その判断については過去の事件でも色々と争いがあったかと思う
そこでチャタレイ夫人の恋人事件が云々、とかいうとちょっと「それっぽい」けど、実際はニューシネマパラダイスで、牧師さんだか神父さんだかが新しい映画を村で一番最初に独り占めで見て、キスシーンを切り取らせるシーンを思い出した
もしろくでなし子氏が起訴されたとして、日本の判事はあの神父さんみたく刺激に驚いた顔でわいせつ性を判断するだろうか  それとも平然と判断を下すだろうか  プライベートでもっと「わいせつ」なものをもうたくさん見てきたから?


今回の逮捕でまずひとつ思ったのはろくでなし子氏のそれがわいせつ物陳列なら会田誠氏の作品とかもだよね笑(わたしは山椒魚はかなり好きよあと小説「青春と変態」にこそ彼の鋭さを感じたわ饒舌なほう饒舌なほうがいいのでは)ってことと、あとPCでネット見てるときはそうでもないのにケータイの広告お下品なものが平然とでてくるわね 北原みのり氏のアダルトショップよりよっぽどaccesibleだわということ
なんだか「わいせつ」が公平に扱われてない気がする
誰か(これはろくでなし子氏がもし起訴されたとしてその訴訟の具体的な裁判官じゃない)がその評価の権限を握ってる気がする
ろくでなし子氏はそいつの機嫌を悪くさせたのだ
今後どんな風に使われていくのかまだ不明瞭な3Dプリンターを使ったから睨まれたのだというのもあるかもしれないけど(年中さんの自分のこどもの等身大のレプリカ、隣人が3Dプリンターで作って自分の子供みたいにお洋服着せて連れ歩いてたらそれってめっちゃホラー)


彼女に逮捕、わいせつ物を陳列したという評価がくだったこと、このアーティストが女だったことと関係してるとわたしは思ってしまう
北原みのり氏に同様の評価がくだったこともそう

例えばこの国の皇太子殿下のお子様は皇位継承権がない
お子様の性別が女で皇室典範が女の皇位継承を認めていないからだ
悠仁様がもし皇太子様と雅子様の間のお子だったら、雅子様愛子様に対して弟は皇位継承するけどあなたは女だからその対象にならないよって説明させられるんだろうか


女だからこうしてろ、っていうの確かにある
男だからこうしてろ、っていうのも確かにある(わたし実際マラソン大会男の子じゃなくてよかったって思っちゃった3キロも長いんですもの!)
でももしそれにひとつ付け加えるとしたら女のひとはずっと性別に関連付けて評価され続けてきたんじゃないのかなーと思うのです
社会自体が女のひとはその性別で評価される側っていうのを所与のものとしてデザインされてる気がする
ろくでなし子氏がわたしのからだはわいせつじゃないっていったのもわいせつだとみる男のひとの評価が前提としてある発言だし
皇室典範の改正をもし女の人が5割超えた国会(http://www.gender.go.jp/about_danjo/whitepaper/h25/gaiyou/html/honpen/b1_s01.html 平成24年度12月現在国会議員に占める女性の割合は衆院7.9%、参院18.2%)でしたら皇位継承は男系男子のところ(これが皇室典範の第1条の内容)評価し直そうとするんじゃないかな
安倍さんは無理やり女性の管理職増やそうとか言わなくなるんじゃないかな(こんなこというから女のコが余計叩かれるのでは、やめてほしい、それはちゃんと実力主義と適性みてやればいいことで、挑戦できる土壌が女の足元にもあればいいだけ)

それで唐突にまとめにはいりますけども、いつも性別にしたがって評価される側に置かれることを折に触れ感じ屈服せざるを得ない状況におかれれば(皇太子のお子ですらそうなのだ)それにあわせてしなつくって楽に生きようとするひともいるし逆に必死で反抗しなきゃ自分の心が殺されちゃうってそれがまるで自分の人生のテーマみたいになるひともいるしろくでなし子氏は後者なんだと思う
もしちょっとでもそうじゃない社会だったら北原みのり氏は逆にアダルトショップを経営していない気がした
それにそうだったらわたしもこんなこと言って男のひとを一括りにした文章書いてない気がした(ごめんなさいね)
っていってこの記載はわたしの、その性別に関連づけた男のひととそのシステムに対する評価そのものになってしまうわけだけど、男のひとの女のひとに対する評価はままあることで、女のひとの男のひとに対する評価は反抗と受け取られるように思う
反抗的と感じたかしら