I'm still looking for.

「考えたこと」を文字にしようとこころみるブログです/宝塚の話が多めです/でも興味はひろく/観た映画の話もしたいです/パンドラの箱はもうあけてあった

<宝塚>花組・エリザベートを観にいく。

8月22日より宝塚大劇場で公演中の宝塚歌劇花組エリザベート−愛と死の輪舞−』を観に行きました(http://kageki.hankyu.co.jp/revue/399/index.shtml)。

若干興奮収まらずなので言いたいことを順番に書きたいと思います。

 

①望海さんルキーニについて(望海さん=望海風斗さん、花組男役03年初舞台)

はいかっこいい。

はいパレード(出演されていた生徒さんたちが公演の最後に大階段をおりながら挨拶されるパート)のときの出で立ち最高。薄目で微笑まれたときのメイクとまつげとで目がどうなってるのがなんだかよくわかんなくなってしまうあのお顔最高。歌はいつも以上にはいしびれます。

望海さん本人がグランドアモーレ。

 

②トップコンビについて

①を書けたのでちょっと落ち着きました。望海さんには雪組にいってもきっとご活躍なさることと思いますし、わたしは必死で応援します。

今回は新しく明日海りおさんを花組トップに迎えた初めての大劇場公演でした。明日海さんはとても美しい方だというのはよくよくわかっていたつもりだったけれど、真ん中にたつひととしてののオーラがこんなにもでてらっしゃるとは正直思っていませんでした。死神トート(今回の明日海さんの役です)としての気迫特にシシィ(タイトルでもあるエリザベート花組トップ娘役蘭乃はなさん)の愛称)がフランツの裏切りを知ってしまった2幕においてすさまじく、否応無し引きつけられて望海さんもみなきゃいけないので目が大変でした。

デュエットダンス(公演の最後のほうにあるトップコンビのダンスです)の最後明日海さんが蘭乃さんの脚に口づけてポーズ決めたところのわたし「夢か」

 

エリザベートという作品そしてシシィ(エリザベート)について

わたしは今回のエリザベート、望海さんが!あの!ルキーニを!する!なんて!絶対!観る!チケット!とるの大変!でも!観る!(実際に宝塚公式HPのオンライン前売は全然つながらないばかりかネット接続自体が何度も落ちました。何故)と思ってそればかり楽しみにしてきたところがあるのですが、実際に観劇して本当に見るべきは生きて悩み苦しむひとりの人間だったシシィの有り様であったと思いましたし、結果的に蘭乃さんの演じるシシィの歌にこそわたしは涙を誘われました(ルキーニが最後狂ったときは嬉しすぎて目が逆にかぴかぴになりました)。

というのも。

シシィはもともと自由に生きたい子どもだったのに、フランツ殿下(専科・北翔海莉さん)のプロポーズを受けて皇后になってしまい(このときフランツは皇后の重荷についても触れるが15歳のシシィには実感としてわからなかったのだと思う)、幸せなはずの結婚パーティーではそれが必ずしも祝福されたものではなかったり、皇后として窮屈な暮らしを強いられ、その後もシシィはフランツの呼びかけに答えられなかったり、逆にフランツがシシィを「裏切」ったり、本当は大事だったはずの息子ルドルフ(今回演じていたのは柚香光さんでした)の助けを求める声にシシィ自身が気づいてあげられなかったりする。シシィは、生きている人間だからこその、今したこの選択がどういう結果になるかわからない人生の中で、自分自身の選択によりだんだんと孤独を深めていくことになる。シシィの歌や台詞は、自分の人生を上から見下ろしたものではなくて、その中において七転八倒するシシィ、としての歌や台詞であって、観客としてすでに一路さんトートや水さんトート(エリザベートはすでに7回宝塚で公演されており、一路真輝さんや水夏希さんもトップスターとしてトートを演じました)のエリザベートをチェックして結末を重々承知でみているこちらとしてはシシィが気の毒だし歯がゆい。シシィはこの時点でもあの時点でもより「利口な」選択肢を選ぶことができたのに。シシィに教えてあげたい、フランツと結婚しちゃだめって、ダイエットはしなくていいしルドルフを時々はだきしめてあげなきゃだめって。しかしシシィにそれが届く訳もなく、取り返しのつかないところまできてしまったシシィに示される、生きて自由になる唯一の方法は発狂することなのだ(これを示すヴィンディッシュ嬢を演じる仙名彩世さんがとてもいい役者さんなのです、わたしはこの役は本当に大事だなって帰りの電車の中で思いました、仙名さんが演じてくれて嬉しい)。

だが一方で、観客のひとりひとりは(少なくともその多くは)、この皇后エリザベートの人生について彼女のえらぶべきであった選択肢を、そしてまるで死神トート自身のように、いずれは彼女が死を愛するようになることを完璧に把握していながら、観客自身の人生については何を、どう、いつ、いかなるタイミングで選択しなければいいのかわからないでいる。そして悩んだり苦しんだりしていて、それだけならまだいいけれど取り返しのつかないことになったりしている。まるでシシィのように。観客のひとりひとり、なんて言わずにわたしと言ってしまってもよいのだけど。でも多くの人にとってはやはりそうであると思う。そしてその一点をもってビジュアルもめだってるし歌もがんがん歌うトートでも、狂言回しにして「主犯」であるルキーニでもなく、シシィそのひとこそに今日エリザベートを観劇すると「選択」した観客ひとりひとりが投影されることになるのだと思う。

そしてだからこそシシィがこの作品の主役であり故に作品は「エリザベート」を冠しているのだと思う。

シシィ死ぬけどね。でもこれは生きることの困難についての話なのだろう。我々の共有するテーマについての話だ。皇后でなくても、女性でもなくても、美しくなくても我々が共有するテーマについての話だ。

やっぱりそういう作品は自然と支持されていくと思う。800回超公演おめでとうございます。そしてこの作品にふさわしい今の花組であったと思いました。

 

はい。好き勝手話してしまいましたが、いつだってよきものが観たいです。今回の蘭乃さん演じるシシィは本当にすばらしかったです。(fini)