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「考えたこと」を文字にしようとこころみるブログです/宝塚の話が多めです/でも興味はひろく/観た映画の話もしたいです/パンドラの箱はもうあけてあった

<展覧会>京都市美術館「竹内栖鳳展」に行く。(2013年11月)

竹内栖鳳展へ行く。

「大獅子図」が「班猫」と入れ替えになる前に観に行けてよかった。

鈍く光る金の屏風にライオンが描いてある。屏風自体も大きいしライオンも大きい。ライオンの毛がほんとにふわふわしているようにみえるし、前足はすごく重そうだし、そもそもライオンは低く唸っている。人ごみのなかでも全然負けていなかった。

 

次に、「絵になる最初」をついに観る!(他にもいろいろ観たけれど)天女図を描くために呼び寄せた、当時はまだまだ珍しかった(らしい)ヌードモデルが、初めてそのやわ肌を栖鳳に見せる手前を絵にした絵。実は普通に着物を着ている時より素肌は隠れている。なのにそらした目からにじむ恥ずかしさや彼女の性格を表しているのだろう着物の決して派手ではないところ、顔を手で隠した様子、(栖鳳展を特集したNHKの番組で)初めて拝見しましたときから、彼女の素敵なその心持ち、立ち居振る舞い、この方を、一目みたいとお慕いしておりました。めっちゃいい絵やで。

実は彼女は岡田みどりさんといって荻原碌山の「女」のモデルらしい。まずこの時点でみどりさんヌードになってるしさらに彫刻になってる。その石膏原型は重要文化財になっている(Wikipediaより)。

「女」を完成させた萩原碌山は同年急逝し、ここで初めて栖鳳がモデルを依頼して、「絵になる最初」が描かれる流れになっている。つまり、この絵はみどりさんが「絵になる最初」どころではない。みどりさんすでに彫刻になっているしそのためにヌードになっている。

したがってこの絵は彼女の「絵になる最初」では多分ない。しかもヌードに今よりもっともっと強い抵抗があったであろうこの時代に、複数の男性のヌードモデルをつとめたみどりさんを悪くいう口もあっただろう(らいてうが青鞜を出版したのがその前年の1912年である)。

しかし栖鳳は彼女自身の清純さみたいなものを見て取って、それをすくい上げて確実に絵にしている。そして多分みどりさんが清純な、心の美しい乙女であることだけではこの絵はここまで人を(少なくともわたしを)引きつけないだろう。この絵のすごいところは栖鳳がこのモデルに対する絶対的な好ましさをもって彼女を絵にしていることだ。この好ましさはどの一点においてもぶれることがない。モデルに対して抱く好ましさを、確実に表現できる術を手にした栖鳳に、わたしは小さく妬くと同時に帽子をとって頭をたれた。