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「考えたこと」を文字にしようとこころみるブログです/宝塚の話が多めです/でも興味はひろく/観た映画の話もしたいです/パンドラの箱はもうあけてあった

<気持ち>同級生の卒業式にて

実年齢−18)歳を申告することがある。

2013年3月26日、大学を卒業した高校の同級生に花を渡した

クラスが2年間(?多分)一緒だった高校生の時は二言ぐらいしか話したことがなかったのに、大学に入って親しくなった相手だ

高校生だったわたしは、自分のおかれた環境にも自分自身にもなにかいらだたしさを感じていたように思う

このいらだたしさから逃げ出して、違うステージに、「アラビア語の学べる世界」に、早く・確実に行かなくてはならないとわたしは考え、 この解に直接つながらないあらゆるパイプはおよそ閉ざされてもとから眠ったものはそのまま、起きていたものも大半はまた眠ってしまった

結果的にかかる半冬眠のままのおそろしいほどの努力によって、わたしは「アラビア語の学べる世界」の扉を押し開けて、中にはいることができた

目が覚めて、新しく生まれた、18歳のときだ そこはわたしが想像した以上に遥かに広く広がっていて、わたしはひとと出会って、話をして、徹夜をしたり、看板を描いたり、お酒を飲んだり、映画を観たり、音楽を聴いたり、迷子の相手をしたり、美術館に行ったり、ウォールオブデスに巻き込まれないようにしたり、花火をみたり、流れ星や日食をみたり、恋をしたり、授業にでなかったり、自転車でうろうろしたり、古本をあさったり、バイトをしたり、笑ったり泣いたり笑ったりしなくてはならなかった(わかりやすくまとめると、"good girl gone ***")

半冬眠のわたしが会話もしなかった相手に、生まれて5歳のわたしが花を渡していること 年月がただたっただけではなくて成長の過程を踏めたこと、自分の卒業時以上に実感せられ、心から嬉しく思いました

結局自分の話になってしまったけれども、 あらためてこのたびは、皆々様卒業おめでとうございます

ヴィヨンの妻「私たちは、ただ生きてさえすれば(ステキなことは進む行く手に咲いているし)いいのよ」