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「考えたこと」を文字にしようとこころみるブログです/宝塚の話が多めです/でも興味はひろく/観た映画の話もしたいです/パンドラの箱はもうあけてあった

<内心><宝塚>初見

好きや嫌いや、嬉しい悲しい楽しい、そういったあらゆる感情を自分の行動の理由にあげることは「正しくない」とわたしの経験則は告げた。 それは理由を説明したことにはならない、そんな理由なら言っても言わなくても一緒だよ、って言われてしまうでしょう。実際耳を傾けてくれる人は多くなかったよね? そしてわたしはわたしの経験則から、「お勉強」に助けてもらおうと考えた。「お勉強」によって論理的に説明すること、を後天的に習得し、自分の行動を説明するのだ。

しかし本心は、こう。

刺激のある生活:好き

知識欲を満たすこと:好き

自分で自由に選べる選択肢:好き

他者への経済的な依存:嫌い

選択できない共同体:嫌い

他者を尊敬しない態度:嫌い

したがってわたしは(とても卑近な例で言えば)、現在の己のありかたそして今後の計画につき〜〜、〜〜、〜〜だからと理由を付けながら、「いや普通に、わたしはわたしで自分のしたいことして楽しく生きたい、今後経済的に依存していきていくのは切ないし、まだまだわたしの知らない楽しそうなこといっぱいありそうやしとりあえず人もものも集まってるぽいトーキョー行きたい☆」と思っている。でもそれでは、感情先行だと判断されてしまうので、「またスイーツが筋の通ってない思いつきしゃべってる」と思われたら最後、向かいあって膝がふれあうほどの相手でも決して内面的に近づくことはできないので、自分の行動を説明する際はできるだけ論理的に話すように心がけている。 というわけで感情から行動を説明することはその「正しくなさ」をもって後ろめたいことですらあった。

でも、宝塚に行って思いました。

宝塚のひとたちは、歌や踊りが心の底から好きだという気持ちから、あそこまで高みに達していらっしゃるのだな、と思いました。 そこにきっとあまり論理的な説明はない。むしろ「好きだから」という感情を爆発させた状態にあってこそ、ああやって舞台でスポットライトを浴びているのだと思う。 さらに宝塚の人たちは男役はもちろん娘役の方も、変な媚びがない。若さや可愛らしさやチラ見せでなんとか行きているのではなく、自分の専門的な技術を磨いて経済的にも自立している。

もう媚び媚びしてんのとかそういうの1ミリも見たくないでしょ?でも媚びると一瞬生きやすさを感じちゃったりしちゃったりなんかしたことありません?

宝塚は、男役・娘役という役割分担があるように舞台上の男女の区別はしっかりしているが、日常生活に染み付いた男女間の、あるいは男男、女女間の奇妙なやりきれなさはきわめて排除されているのだ。舞台の彼ら彼女らは「ああ、宝塚の国のいきものがいる」といった感じで、厳密に男役・娘役をこの世の男女に対応させているわけではない。そしてそのいきものたちはとても堂々として、ポジティブな感情に突き動かされている。 そこがいいところなのかも。 まだ一回しか見ていないし、言葉で説明するのはとても難しいのだけれど、結局彼女たちがものすごく厳しいであろうお稽古やそれ以前からの競争競争競争、タカラジェンヌを目指し始めたときから一生ついて回る大変なこと、をひっくるめてもなお、好きだから堂々とこうしてる、ということはびっしびし伝わってくる。そこに宝塚の魅力があると感じた。 という訳で、宝塚は最近うっすら感じていた、結局のところ自分が自分自身の行動を選ぶためにはそれに強く結びついている感情をどう扱うか、そしていかにポジティブな扱い方をとれるか、が鍵なのではないかという考えの「およそ正しいらしい」ことを再確認させてくれるものでした。 めちゃすばらしい。ネガティブな気持ちからはなれられないときは宝塚を見たらいいと心底思いました。 わたしが今後人生に挫折し、引きこもりになっておりました際には、宝塚のちょっといいチケットとってそっとドアの隙間から差し入れてくださいませ。蘭寿とむさまが好きです。(2013年2月)